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音楽初心者の戯論

事情通でもプロでもない、ろくな知識も持ち合わせていない人間が、徒然なるままに日々移りゆく音楽シーンを覗き見するだけのブログです。

J-POPの歌詞に正しい日本語は必要か

コラム

どうもこんにちは。

今日を乗り切ればやっと休日でございまして、みなさん頑張りましょう!と書こうとしたのですが気付けばもうこんな時間…(笑)
むしろお疲れさまでしたと言ったほうがいいかもしれませんね。

さて、今回は昨日のラストでちょこっと告知したようにもうちょっとモダンな歌詞のあれこれを語っていきたいなぁと思います。

まぁ歌詞というよりは日本語そのものの話がメインになってしまうかもしれませんが・・・

ところで皆さん、これはあまり関係ないのですが「姑息」という単語の意味はご存知でしょうか。
一般的には「ずる賢い」とか、「卑怯な」という意味で捉えられていて、みなさんの中にもそういう解釈をしている方も多いと思います。

しかし実際「姑息」の意味は「一時しのぎ」とか「一時の間に合わせ」というように辞書に載っています。

多分ですが「なんか姑っていう字が入ってるし意地汚いとかそんなんじゃねーのー?」という何となくの推測からいつしかそんな認識が広まっていったのではないかと思うのですが、ってなかなかヒドい話ですね(笑)

たしかにTVドラマとかで描かれる小姑って悪役のイメージですけど、「姑の息」と書いて「ずる賢い」という意味で解釈してしまうほど、そして元々「姑息」という意味を知らなかった若者も「あぁ、なるほどね」となってしまうほどのインパクトですか。

正直実体験とかはないので何とも僕からは言えないところなんですけどね(笑)


とまぁ1つ例を挙げましたが、これによって僕が何を言いたいかといいますと別に「みんな言葉の意味を勘違いしているから直してねー!」とかそんなことではなくて、時代と共に少しずつ言葉が変化しているということです。

そんなことを言えば原義的には全く別だったけど今は専ら別の意味で使われているものって結構多くて、例えば「敷居が高い」は「格式とかレベルが高い」ではなくて「相手に不義理を働いたことでその人の家に行きにくい」という意味ですし、失笑は「あきれ笑い」ではなく「思わず噴き出す」という意味です。
詳しくはこちらに同じようなものが載っていましたのでどうぞ。

a.excite.co.jp

でも個人的にはですね、原義がどうとかそういうのはどうでもいいと思うんですよ。
言葉というのは結局使う人がいないと消えていくわけで、裏を返せばその言葉を使う人によって意味が定まるということです。
ちょっと強引な言い方になりましたが、よく広辞苑などの辞書を見ると3番目くらいの意味で

③(原義から)転じて○○の意。

というのを見たことはございませんかね。

これは時代が移ろっていく中で次第に人々がその言葉を③の意味で捉えることが多くなって、そうすると辞書を作っている人たちも対応せざるを得ないわけですよ。

まだ正誤が拮抗しているときは

※近年、○○と混同して△△という意味で使用されることが多くなったがこれは誤用である。

と書かれ、そして間違った意味でも使用者が8割くらいを超えるともう辞書に正しい意味として掲載される。

そんな感じで意味が変わってきたのだと思います。
これは僕の推測が入っているので「あっ、そう」程度で見てほしいのですが、そもそも僕も正しい日本語を使えているか疑問ですからね。
それなりに正しい用法諸々は心得ているつもりですが、ちょっと怪しいところがいくつかありそうですので(笑)

その他にも最近は「出来る」と漢字で使う人が多いですが、この「出来」は名詞形で使われるのが基本なので僕としては違和感があるわけです。
出来高」とか「出来具合」という意味で使っていたのが英語で言う「can」の意味で用いられるのが「うーむ」と唸らずにいられないだけなんですけど、まぁきっとこれも30年後とかには僕も普通に使っているのでしょうね。

あと漢字と言えば最近話題にのぼることが多い「障がい者」ですが、NHKでは漢字で書く際必ず「障碍者」と書くようになりましたね。
しかし一般的には「障害者」がほとんど。
学校教育ではこの「碍」という字を習わないので「障がい者」と書くようになったそうですが、その際先生からの説明がないと「あれ、アイツ先生のくせに漢字分かんねぇのか?」みたいに受け取られて終了。

suzumi-ya.com

ガイと読む漢字は「害」が一般的なので自然に「障害者」と当てられるようになってしまいましたが、僕自身が気づかないところでこういうことって結構ありそうな気がします。それがいいのか悪いのかはまた別問題なのでしょうけどね。

 

 

さて、本当に歌に触れずにここまで来てしまいましたがさすがにちょっと歌詞について触れてみましょう。

とりあえずこの曲。

ONE OK ROCKの『Heartache』ですが、めっちゃイイ曲!...ということではなくて、この動画の3:40あたりからの歌詞に「離れれなくなった」というものがありますよね。

最初聴いたときに「むむっ!?」と思ってもう一度聴き直したくらいですが、本来の正しい使い方は「離れられなくなった」です。

これは「ら抜き言葉」と呼ばれているそうで、「食べれる」とか「考えれる」とか割と日常的に使っている方も多いのではないでしょうか。

それでですね、これも「影響力のあるアーティストが間違った日本語を使わないでほしい!」という愚痴なんかを書きたいわけではなくて、確かに僕は違和感を持ちましたが違和感を感じなかった人も当然多いと思います。
むしろ「離れられなくなった」にしたほうがメロに対しての語感が悪くなって違和感を持つ方が増えるかもしれませんね。
もしかするとそこを考慮してわざと「離れれなくなった」にしたのかもしれませんが、特に物議や論議を醸していない現状から察するにこの曲はこの歌詞のままで広く受け入れられていることが分かります。

要はですね、そういう時代になったということです。
別の言い方をすれば、こんなステレオタイプなブログの記事を発見する人より普通に歌詞検索をする人の方が圧倒的に多いとも言えますかね(それはちょっと違う)。

他にもback numberの『春を歌にして』という曲では

会えないとゆう事より何よりも悲しいのは君が僕に会えなくても平気ってゆう事

back number 春を歌にして 歌詞

 という歌詞がありますが、めっちゃいい歌詞!...ということではなくて、正確には「会えないということよりも」のほうがいいですよね。日本語的には。

しかしback numberは若者の恋愛マスターですから、こういった少しくだけた感じの口語的表現のほうがすんなり若い心に染み入るでしょうし、これについても「おかしい!」と感じない人がいると思います。

と、ここまで何も考えずに散文を書いてまいりましたが、結局のところその時代やリスナーに適合していれば問題ないと思います。

例えばパソコンのキーボードはQWERTY配列なんて言われていて(左上のアルファベットを6つ並べただけ)、最初こそ「なんでこんな統制のない配置なんだよ!」と思ったものですが、今では何も思わず普通に使っています。
これはまだタイプライターの時代、文字を打つ人がダダーッと猛スピードで打つと機械が対応しきれなくなるとのことで敢えてメチャクチャな配置にしたものらしいのですが、技術が進歩したことにより対応できるようになったころ、Dvorak配列なるものが開発されたそうです。
英語圏の人が打ちやすいように再設計されたもので、そのため手の動きがQWERTYよりも少なく済み腱鞘炎になりにくいとか何とか...

しかしですね、これがまったく売れなかったんですよ!

どうしてかというと、すでにもう世間の人はQWERTY配列に慣れてしまっていて、今さら新しい配列にまた1からというのは面倒だということですね。

何が言いたいかというと、良し悪しではなくて一般的になったものが残っていくということです。
昔の非常識が今の常識になるように、そして打ちづらいQWERTYが競争に勝ったように、世間で認められたものが後の代まで残っていきます。


「正しい日本語は必要か」なんてタイトルに書いてしまいましたが、僕はそれを人々が違和感なく受容した時点で「正しく」なるのだと思いました。

まぁこれについては異論反論等々多いと思いますが、単純に僕がそう思っただけですので「へーー」程度で流してやってください(笑)

 

それではまた次回!

Heartache

Heartache

春を歌にして

春を歌にして

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